昨日は嵐の中、尾山台の住宅街の中で、ひと際、存在感のあったケヤキの大木(推定樹齢130年程度)が伐採される瞬間にたまたま通りかかり、大切なものを失う寂しさを感じました。落ち葉や枝の管理など、個人では負担が大きいだけに、所有者にとっても悩まれた結果だと思います。このようにして、また1本、国分寺崖線沿いの大樹が作り出す貴重な景観が失われていきます。
国分寺から続く生態系が残されることで小動物の行き来も可能となり、良好な環境をつくるケヤキの大木は人々への安らぎを与える公共性を持ち得ていると言えます。世田谷区の公園管理事務所の担当者に聞いたところ、保存樹に指定されると、区から管理費用の助成が出るようですが、それでも所有者の善意で管理が行なわれることが多いようです。このような努力にも関わらず、近隣からは日陰や落ち葉などの苦情を言われるケースもあるらしく、当事者にしてみれば大変なのかもしれません。しかし、近隣住人からの苦情が理由だとすれば、この環境を求めて住んだのでは?と隣人の対応に疑問も感じます。最初は、所有者の老人を恨めしく思いましたが、その方の立場になると、容易ならざる事情があるのでしょう。
世田谷区のみどりの基本条例には良好な状態を維持するようにと書かれているだけで、所有者の善意に頼っている状況では、また貴重な景観が失われる可能性もあります。 何か、良い知恵はないものでしょうか。。。
(写真に写っているケヤキよりも大きなケヤキがクレーンの脇で伐採されました)
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